【奈良市】 請願署名活動中 奈良の文化財を 
 ハーグ条約強化保護登録の第一号に! 9.19学習会を開催 
                      
 「平和・無防備都市条例」奈良市民の会・辻本誠       09年39号2面
  私たちは現在、ハーグ条約(武力紛争の際の文化財の保護に関する条約)に基づく文化財保護の取り組みを進めるために、奈良県・市に向けた請願署名に取り組んでいます。スローガンは「奈良の文化財をハーグ条約『強化保護』登録の第一号に!」です。
50年以上も前に、奈良では、「1954年ハーグ条約」採択に向けた活発な活動が展開されていました。奈良市民の会は、9月19日に学習会を開催し、講師の田中はるみ先生(大学非常勤講師)から、その頃の国内外の状況と当時かかわった人々の思いと情熱の実相を学びました。それらが、半世紀を越えて私たちの取り組みに繋がっていることを実感した次第です。以下は講演内容の概略です。

 ハーグ条約成立当時の奈良の状況

 1950年朝鮮戦争勃発、1952年講和条約・安保条約発効、1954年ビキニ環礁でのアメリカによる水爆実験、1954年自衛隊発足などの情勢を背景にして、奈良では次のような状況が生まれていました。
(1)日本が1951年にユネスコに加盟し、奈良のユネスコ関係者もハーグ条約批准の障害となった軍事基地そのものを造らせない方向を模索していた。
(2)1952年に大阪市内にあったR・Rセンター(Rest and Recuperation Center 朝鮮戦争に出兵する国連軍兵士の在日宿泊施設)が奈良市内に移転し、周辺には米軍将兵を相手にしたカフェ・バー、射的屋、キャバレー、飲食店などが集まり、売春を含むネオンの瞬く一大歓楽街が出来上がっていた。
(3)1956年に防衛庁から県へ自衛隊幹部候補生学校誘致の申し入れがあった。

 非武装都市をめざして

 奈良ユネスコ協会を中心とした関係者を支えていていたのは、「平和で文化の香り豊かな奈良」の達成が「やがて日本全土に波及し、世界平和の波を大きくつくる」という確信でした。平和のためにハーグ条約をつくろう、条約を守る努力をしよう、そのために軍事基地をなくそう、空襲や朝鮮戦争の経験から、もう戦争はいやだ、9条を世界に発信しようという危機感が強く広く存在していました。
(1)奈良ユネスコ協会会長であり、社会党左派であった矢川敏雄を中心に、「奈良R・Rセンター廃止期成同盟」が作られ、それが「奈良非武装都市建設期成同盟結成」につなげられた。
(2)1956年の国会では八木一男(社会党左派)が、ハーグ条約の早期批准と奈良への自衛隊の誘致について質問し、奈良の非武装都市化の重要性を強調した。
(3)1956年、防衛庁と奈良県の間で、政府は「奈良市および周辺地区における文化財の保護について十分協力すること」「万一武力紛争の起こるような場合には、学校を移転すること」などの覚書が交わされた。
(4)しかし、当時の奈良社会党や総評の主流が右派であったために、米軍や自衛隊の受け入れの経済的メリットに重点を置く国・行政(知事・市長)の姿勢を打ち破ることができず、文化財保護を通じて世界平和を追求していくという思想と貴重な平和運動の歴史が忘れられていった。  以上 ご講演はもっと多岐に渡っていましたが、字数制限もあり、とりあえずの報告としてご了承下さい。
       9/20 前田朗さん講演会開催 「平和を生きる」−主体性をもった言葉が胸に落ちた
 
   【千葉県山武市                        山武草の実会・串田文子  09年39号3面
 
 一見平和そうなこの街にも戦争の傷痕が・・・今年初めての献花祭

 山武市は4年前合併し、市になったばかりの街で、千葉と銚子の中程にあります。市の西側は里山で、その麓から九十九里浜までは田園風景が広がりのんびりとした心安らぐ戦禍等ないところと思っていました。
 ところが最近、戦争の時成東駅が空襲で爆破されたことを知ったのです。しかも8月13日、終戦の2日前に。7月に山武草の実会でその時駅員のなかでただひとり生き残られ今はお坊さんに成られている方にそのときの様子を聞きますと、そのとき他の駅員全部と、他から来ていた国鉄職員や兵隊が39名亡くなったといいます。
 駅にあった貨車に爆薬が積んであり、空襲で貨車に火がついて爆破し、駅は一瞬にして吹き飛び、大きな穴が開き、人々は駅前にばらばらになっていたという大惨事だったとの事です。その後街の人々に聞くと、その時は子供だったがとか、親から聞いたなどと皆そのときの恐ろしさを鮮明に話してくれました。
 一見平和そうなこの街にも戦争の傷痕が。やはりそれは忘れてはいけないのではと議員達に呼びかけたところ、今年は駅前で市の主催で戦後初めて献花祭が行われました。

 「無防備平和宣言」にかける札幌・谷さんの情熱に引き込まれて

 私は1926年生まれ、生まれた頃から戦争体制に入り軍国教育で育ち、戦後になってようやく騙された事を知り、もう二度と騙されまい、戦争は嫌だ、戦争にならないためには原爆の元になる原発を止めよう、プルトニウムを取り出す六ヶ所村の再処理工場を止めようと六ヶ所村にも行きました。
 そんな中で札幌の谷さんにお会いしたのです。そして今回の「無防備平和宣言」にかける谷さんの情熱に引き込まれ、最後の仕事として私もと思って活動はしているものの、まだまだ心細い限りです。

 前田朗さん招いて学習会を開催―今後の方針を皆で決めていきたい

 9月20日、前田朗さんに来ていただき「軍隊のない国はいくつあると思いますか?」という講演
会を開きました。連休とあって参加者が少なく残念でしたが、私にとって「軍隊のない国」がさまざまな形をとり世界にあることを、一国一国その国の歌もいれながらお話いただいたことは弱気になる心の励ましになることでしょう。
 そして最後におっしゃった「平和を生きる」という主体性を持った言葉は、胸にストンと落ちました。そして先生と一緒に来てくださった首都圏の会の佐藤さん始め国立、立川、市川の方々の元気もいただきました。この地でも昨年九条の会や戦争を語るかたりべの会が生まれました。私たちの会も続いて発足いたしました。
 今までは学習が主でしたが、これからは会員同士じっくりと話し合い、今後の方針を皆で決めていきたいと思っています。
     
    10/10〜沖縄・那覇市で無防備署名スタート        
09年39号4〜5面 
  命どう宝の心で「基地の島」から「非武の島」へ 全国のみなさんめんそーれ沖縄!
                              
 いよいよ10月10日(土)から沖縄本島で初めての県都・那覇市での無防備運動が始まります。「基地の島」から「非武の島」へ。武力ではなく守礼・礼節を重んじた平和外交によって交易を続けた琉球を取り戻したい。沖縄戦で多くの県民が犠牲となり、その後も米軍による支配、復帰後は自衛隊基地も駐屯し、「基地の島」となってしまった沖縄。基地も軍隊もいらないと県民が声をあげる取り組みとしての位置づけがあります。
 
  文化遺産・戦争遺跡の保護をめざす

 まずは、条例案から特徴を紹介します。第7条に「文化遺産の保護」をあげています。……那覇市は、世界遺産をはじめとする市内の文化財を戦争によって破壊されることを防止するために、武力紛争の際の文化財保護第2議定書第10条に定義する文化的財産の強化保護を国に求めるとともに、平和な街づくりを推進することにより文化遺産の保護を図るものとする。……としています。那覇市内には、首里城跡をはじめ世界遺産があります。首里城自体は、何度となく争いによって焼失していますが、沖縄戦では日本軍の司令部である第32軍の本部を首里城下の壕(ガマ)に置いたことから、米軍の猛攻撃によって首里城は壊滅しました。「軍民分離」の原則の点からも、文化的財産に軍事施設を設営した誤りを明確にする意味があります。
 また第2項には、……沖縄戦の戦跡、壕(ガマ)等を戦争遺跡として、前項に規定する文化的財産として強化保護を国に求める。……としています。これは、請求代表者の一人、具志堅隆松さんは、ガマフヤー・遺骨収集ボランティアとして、休日を利用して県内の壕に入って遺骨収集の活動をされています。市内には沖縄戦当時の日本軍兵士の遺骨がまだまだ数多く放置されたまま、土地開発によって荒らされているのが実態です。具志堅は、「一人ひとりの遺骨が見つけ出されるのを待っている」と言います。唯一の軍民混在となった地上戦を経験した沖縄だからこそ戦争遺跡には、特別な保護が必要だと条例案に盛り込みました。
 
  沖縄戦の教訓「命どう宝」の沖縄の心を明記

 次に、条例制定請求書の請求の要旨です。……沖縄戦の教訓は、「軍隊は住民を守らない」であり、「軍隊のいない島」渡嘉敷村前島では、住民の犠牲者がありませんでした。私たちは、「命どう宝」の沖縄の心を大切にし、平和の事(人の命に関する事)は政府や軍隊に任せるのではなく、市民ひとり一人がつくるものだと考えています。……としています。沖縄戦の教訓、前島の事例、命どぅ宝の文言を挿入することも署名運動をすすめる運営委員会の論議によって豊富化されました。
 8月16日の結成の集いで、牧師の平良修さんが提供されたビデオでは、渡嘉敷村・前島に日本軍が駐屯していれば攻撃することを命じた米軍作戦命令書が当時の米軍司令官のインタビュー取材によって、命令書そのものが示される場面がありました。よく前島は米軍にとって駐留する意味もない島だから住民が助かったという間違った解釈が無防備運動の妨害として流布されていますが、これを明確に否定する事実が明らかにされています。

  9月日から事務所専従体制 17日から5万枚チラシ配布

 事務所は、首里石嶺町に置きました。請求代表者の狩俣信子さんのご厚意によって事務所を斡旋していただきました。ゆいレール(モノレール)の終点の駅である「首里駅」から徒歩6分。首里の「りうぼう」(有名なスーパー)からも徒歩2分で、那覇市で最も標高の高い北東の端に位置します。
 さて、いよいよ署名運動が始まります。9月17日から事務所専従体制を確立。18日から5万枚チラシ配布がスタートしました。本土からチラシ配布の応援を得て、すでに1万枚近く各戸配布しています。その中で、受任者や協力の申し出が寄せられるようになりました。
10月5日の賛同人の松浦悟郎氏(カトリック司教)を講師にした講演会チラシを、安里カトリック教会に持っていったら、司教さんはあいにく不在で会えず、しかし正式に要請に入る前に、別のキリスト者の集会でその持参したチラシがすでに配布されているなど、宗教者内部での見えない動きも徐々に感じられるようになってきました。

  10月10日から元気良く取り組む

 沖縄戦が実質的に始まった1944年10月の十・十空襲を祈念し、10月10日から署名運動は開始します。翌日の11日(日)は、全国から何万人と観光客が集まる大綱引きがある那覇まつりの日。10月23日(金)から25日(日)は、市内奥武山公園で産業まつりもあります。何万人と人が集まる大イベントも署名期間中にいろいろ予定されています。今後、署名運動はどのような展開をしていくのか、まだ見えていないのが実態です。そもそも沖縄では、街頭で署名を集めるという習慣はありません。学校や団体間、地域で署名は収集されています。まったく予測不能な署名運動となりそうですが、1ヶ月間元気よく取り組んでいきたいと思います。
 本土からチラシ配布や署名運動への応援もよろしくお願いします。「本土から応援部隊が来るのだから、ウチナンチュはもっと頑張らないと」と運営委員会でも期待する声が出されています。みなさん、久しぶりに沖縄にいらしてください。メンソーレ沖縄。

    【尼崎市】 『爽やかな平和の風にのって』刊行を祝う会を開催
                            
ブックレットで、仲間の裾野を広げたい
                       尼崎市に平和無防備条例をめざす会・高島ふさ子
     09年39号6面
  
 9月26日、阪急園田駅近くを流れる藻川にほど近い、地域の公民館「小中島会館」で尼崎市のブックレット刊行を祝う会を開催しました。「この会館は地域の方から土地を提供してもらい、市との交渉をへて完成した地域の財産なんですよ」と請求代表者中村大蔵さんから説明を受けました。

 第一部 枚方市・大田幸世さん講演無防備運動継続の力を実感

 第1部は直接請求後の活動報告を中心に枚方市の大田幸世さんの講演です。冒頭「この本ができて嬉しいし、お礼を言いたい」と切り出されました。枚方では「平和がいちばん、子どもたちの前に自衛隊は姿を現わさんといて」との思いをベースに、無防備でつながった方々とともに課題を福祉、雇用、談合問題へと広げて6回のワンディアクションを成功させ、市に要求をぶつけてきたとのこと。
 市民と市役所(市の行政)との大きな温度差を何とかしたいという思いから、市民の怒りを伝えることで課題が広がってきたことがわかり、このように何でもしゃべれる仲間ができる無防備運動のすごさと継続の力を感じました。

 第二部 リレートーク 受身でなく自分から発信していく取り組みがよかった

 第2部は持ち寄り料理とお酒でなごやかな雰囲気の中、リレートークで全員にしゃべってもらおうとの企画です。
 本会議で賛成意見を述べられた弘中議員は「市民がしっかりと運、動することで議会も議員も変わる自治体のトップが市民の命をまもるために依拠すべきものは何か、と考えて、特殊標章があり無防備。地域宣言があると論理立てをした。今後の議会審議で尼崎市を更に乗り越える論理展開を期待します。」と那覇市をはじめこれからの取り組みへの期待を語られました。
 ブックレット表紙担当の町田さんは「受身でなく自分から発信していきたい」と思っていた私にとってこの運動はとてもよかった、請求代表者の宮城正雄さんからも「最近本を読んだ方から『宮城さん一生かけて沖縄のことやりましたね』とほめられましたよ」と感謝の気持ちを述べられました。苦労して集まった署名をいとも簡単に反対意見書で切った市長への怒りを陳述で語った原田さんは「議会に今まで行った事もなかったけど、議会が身近になった」とご自分の変化を語られました。

 自治基本条例づくりにも着手したい!

 このブックレットはいわば市民参加で平和を創る議会審議の記録です。手にとってぜひ議事録まで読んでください。きっと平和な地域づくりには国際法にある無防備地域宣言が有効であることを確信できると思います。尼崎ではこのブックレットを広めることを通じてもっと仲間の裾野を広げたいと思っています。またワンデイアクションの取り組みや、わたし達の自治基本条例づくりにも着手したいと考えています。やむことなく、ともに平和のために頑張りましょう。
  【吹田市】  直接請求運動の成果を確認し、
         「平和なまちづくり吹田ネットワーク」として新しくスタート!

                              平和なまちづくり吹田ネットワーク・井上一彦  09年39号7面
 
 9月27日に、吹田サンクスホールで「平和・無防備条例をめざす吹田の会」の総会を行いました。条例制定には至りませんでしたが、多くの市民、市会議員の方の協力で、署名活動の成功と議会での有意義な論議を創り出してきた成果に基づき、今後とも、吹田市を住みよい街にしてゆくために活動する集まりへと、会を発展させてゆくことを論議、決定してゆく場として開催しました。

 各地の議員や市民の会から今後への貴重なお話

 ゲストには、箕面市会議員の中西さん、吹田市会議員の中本さん、そして「平和で豊かな枚方を市民みんなでつくる会」のおおたさんをお招きし、お話を伺いました。
 おおたさんからは、枚方で条例制定運動を取り組んだ後、その成果を大切にして地域での平和に向けた取り組みをネットワークとして取り組み続けている内容を教えていただきました。
また、中西さんや中本さんからは、平和に向けた議会での取り組み方の様子や、現状の市議会運営の中での課題について教えていただきました。特に現在でもなかなか市議会はオープンにされておらず、市民参加には程遠い状況であることを痛切に感じさせられました。
 3人の方との交流に続いて、今後の取り組み方を参加者みんなで討議しました。「最初は到底できないのではと思っていた署名活動ができた。その力をこれから吹田を平和な街へと発展させてゆくために大きくしてゆきたい」との思いが参加者のなかで共有化されました。

 那覇の運動へのカンパも

 そして、会の名称を「平和なまちづくり吹田ネットワーク」へと変更し今後とも平和、人権、環境
の取り組み、そして市議会への働きかけを中心として、会を広げてゆくことが確認されましたまた。また、沖縄那覇市で行われる条例制定運動への支援として会場で約2万円のカンパも準備することができました。
 これからは、これまで協力してくださった市会議員の方たちとも連携しながら取り組みをスタートさせてゆきます。よろしくお願いします。