【情勢】 普天間移設−基地はどこにもいらない
      
   無防備地域宣言・沖縄ネットワーク 事務局長 西岡 信之  10年44号2〜3面                        
  普天間移設で見えた民主党の本性

 昨夏の衆議院選挙で民主党が政権交代を果たしてから、普天間移設問題が連日のように全国ニュースで報道され、国民の多くに現行移設先案であった辺野古という名護市東海岸の小さな村名まで知られるようになった。普天間が、当時国務長官だったラムズフェルドをして「世界一危険な基地」であることや、辺野古の自然環境がジュゴンや青サンゴの発見で世界的にも希少な地域であること、13年間もの間、移設先をめぐって県民が苦悩を虐げられてきたことも公然と認められるようになった。民主連立政権になって、多くの県民が県内移設とりわけ辺野古への移設はなくなるという新政権への期待をもって行方をみつめてきた半年であった。
 しかし、昨年末から最近の民主党の閣僚や国民新党幹事長の発言から期待が間違っていた事、「第二の島ぐるみ闘争」を決意しなければならないほど追いつめられ、県民は民主党政権に裏切られた気持で満ち溢れている。
 3月14日の新聞報道は、さらに震撼とさせるものだった。普天間の移設先は、勝連半島沖合に千二十ヘクタールの人工島を埋め立て、普天間基地、自衛隊那覇航空基地、米軍那覇軍港も併設させるという案が、平野官房長官から民主党沖縄県連の喜納昌吉代表に語られていたことがわかった。滑走路も3千メートル1本、3千6百メートル2本の計3本、普天間の2倍の広さだという。近隣の米海軍のホワイトビーチを含めると巨大な最新鋭の軍事要塞が完成することになる。

  朝日を拝む聖域に基地建設案

 勝連半島沖合は、与勝半島から海中道路をわたった浜比嘉島と宮城島の沖合となる。彫刻家の金城実氏がうまれ、音楽家で無防備沖縄ネットワークの代表幹事を務める海勢頭豊氏が育った場所だ。映画「マブイ」で主人公の少女が海で溺れかけた海岸があり、水平線から太陽が昇り、朝陽が拝める聖域だ。平野官房長官は、「那覇空港近くの基地がなくなり、観光客にとってもいいのではないか」と語ったという。民主党の沖縄県連は、14日に大会を開き、県内移設反対を全会一致で確認したが、3区選出の玉城デニー衆院議員は、「あくまでも県外移設を求め、海兵隊と自衛隊との共同訓練ができる場所を見つけたい。海兵隊を移動させる大型高速船も建造すればいい」と語った。ようするに県内の民主党は「県外移設」だったら何でもいい発想であり、そこには「基地・軍隊はいらない」という平和思想はない。日米安保堅持、日米軍事再編強化賛成のスタンスなのだ。平和構築の思想に「非武装・非戦」はなく、軍事力抑止論でしか民主党はないことが明らかになった。喜納代表の「すべての武器を楽器に」という素晴らしいスローガンは、言葉だけだった。

    基地はどこにもいらな

 普天間移設問題の根本問題は、民主党の外交防衛政策が、グローバル資本主義にもとづく軍事力による抑止を基礎にしている点にある。自公政権と同じ路線だ。海兵隊は日本防衛のために存在するのではなく、イラク・アフガニスタンをはじめ米国の世界侵略のための殴り込み部隊であり、存在そのものを否定しなければならない。移設先を考えること自体が誤りである。政権与党として連立に加わった社民党は、この点を明確にして民主党を批判し、「普天間無条件返還」をきっぱりと主張しなければならなかった。社民党の「県外国外移設」の提案は、基地・軍隊の存在を容認したことを意味する。移設先を提示された地域の人たちは社民党に裏切られた思いだ。沖縄の基地負担の軽減のためなら、県外移設もやむなしする立場は、もはや平和政党とはいえない。グアムの少数民族チャモロの人達が受けている米軍からの暴行、搾取、人権無視、放射能汚染の苦しみを沖縄基地被害の下におく間違いを犯している。また共産党も県議会決議において、「普天間無条件返還」の旗をおろし、「県外国外移設容認」の立場に立った。

  軍隊で市民は守れない。無防備運動で軍事政策を変えよう!

 普天間移設問題が、国民的課題となり米国を巻き込み、世界各国から注目されている政治課題になっている。今こそ、イラク・アフガニスタン戦争の米国を批判し、すべての米軍基地撤去、自衛隊も含めて「基地・軍隊はどこにもいらない」を国民運動に発展させていくことが求められている。普天間移設問題が浮上した同じ時期に、県都那覇市で無防備平和運動を私達は取り組み、有権者の20名に一人の署名をつくりだした。署名運動に参加したごく普通の県民・那覇市民は、普天間移設問題がある中で何かしたい、沖縄には基地も軍隊もいらないことを示したいと立ちあがった。那覇市議会では自民党は、米軍基地と自衛隊の必要性を叫び、共産党も国際人道法を非難し、占領時には戦うと徹底抗戦の軍事力信奉の考えを明らかにした。
 軍隊では市民を守ることは出来ない。無防備運動の非武装・非戦で地域を変え、国の軍事政策を根本的に変えていく運動が求められている。普天間移設問題で、「軍隊・基地はどこにもいらない」をストレートに訴える無防備平和運動に取り組んだ私たちの出番だ。普天間は無条件返還しかない。すでに提案されている「沖縄・普天間基地の閉鎖・全面返還と名護新基地の中止を求める署名」運動に取り組むとともに、「普天間は県内にも県外にもグアムにも、どこにもいらない」の声をあげよう。 (3月16日) 
    
  1/11「平和の街づくりシンポジウム」より    石原昌家さん講演要旨 
                                    
10年44号4面
                       
 
 
 1月11日に那覇市で行われた「平和の街づくりシンポジウム」での石原昌家(沖縄国際大学教授)さんの発言要旨です。

   沖縄戦の実情〜軍隊の存否で違う戦争での死亡者数
 
 
1970年から始めた「地域別沖縄戦戦死状況(1945年3月現在県内在住者)」、戦災実態調査で、那覇市の無防備平和条例の制定が沖縄戦の教訓を踏まえたものだということを話したい。
 この調査結果でわかったのは、日本軍が陣地を構えていた地域と日本軍が居なかった地域とでは、住民の戦争による死亡者数と死亡率が著しく異なるとことだ。沖縄戦は、住民4人に1人が亡くなったと言われているが、軍隊が居たところと居なかったところでは全く違う。その例として、沖縄市の旧越来村倉敷と言う所では戦死者は地域人口の8・7%だが、南の摩文仁の米須という集落では総人口の55・7%で、これだけの違いがある。
 米軍が沖縄本島に上陸したのは4月1日で同5日には米軍は宜野湾に進撃していた。宜野湾の戦死状況は字宜野湾と字嘉数ですが、極端に言うとこの二つの集落は道一つ隔てた程度の距離です。そこで字宜野湾は戦死率20%、字嘉数は53・8%と、同じ宜野湾で2・5倍の開きがある。なぜか。字宜野湾では日本軍は地上戦突入直前に移動した。ところが、すぐ近くの字嘉数の方は、頑強な日本軍が陣を構えて4月8日から19日まで米軍との激しい戦闘があった。首里軍司令部を守るための二重三重の強固な陣形が作られ、その最前線の陣地が嘉数だったわけです。それで住民も犠牲になってこれだけの被害が生まれた。
 沖縄本島南部は被害が大きいと私たちは思っている。ところが、実際に南部でも知念半島の方は犠牲者が少ない。知念半島には日本軍は布陣してなかった。布陣していたのは喜屋武半島。日本軍が5月末に首里の司令部を放棄して、摩文仁(現糸満市)の南端に移動する。そして住民を盾にして戦争を「国体護持」のために長引かせるが、実は5月末までは摩文仁や米須は住民の犠牲者は殆どなかった。しかし、日本軍が摩文仁南端に移動したがために、住民の半数以上が亡くなってしまう。これが一つ一つの家族、集落単位の調査をすることによって浮き彫りになった。つまり、軍隊は住民を守らない。それどころか、自国軍隊が自国民を殺害したり死に追い込んだりした。私は沖縄戦は体験していないが、実態調査によって沖縄戦の実情が分かってきた。

   琉球の非軍事思想を今日に

 
沖縄は「非武の島」である。非武の島であったという、先人達の非軍事思想というものがある。明治12年に「琉球処分」が行われ、その琉球処分官の松田道之が報告書を書いた。明治政府が沖縄県に軍隊を配備する計画に対しては、琉球側が激しく抵抗したことが、その文書に記されている。それは、これまでの琉球が対外的には軍隊を配備せず、軍事によらない平和的対話によって平和を維持できたので、軍隊を配備したら逆に隣国に疑惑を生じさせて関係が悪化するという懸念を示し、必死になって琉球への軍隊の配備を阻止しようとしたとある。しかし、実際は実力行使で入りこんだが、「非武の島」は具体的に文書としても残っていて、これこそが琉球、沖縄の非軍事(平和)思想で原点がそこなんです。沖縄の人が軍事基地はいらないということに対して、賛成こそすれ反対するということは考えられない。
  
 【東京都・日野市】
   無防備平和条例直接請求をしたからこそ私は議会を変えたい
                ひの・平和で安心して暮らせる町をめざす会 有賀 精一 10年44号5面
                                                                
 
  市民感覚と大きくかけ離れた議会をどう変える?

 本来、市民が主権者である。議員が選挙によって選ばれているからといって、主権者を蔑ろにしてはいけないはずだ。けれど、昨今の議会は、主権者が誰かということを忘れているのではないかとの感を抱かせる。密室の中で、全く市民感覚とかけ離れた議論と振る舞いをしている議員が多い。それは政党会派を問わず、全国的な傾向ではないか。そして、高額の給与や様々な特権が付いて回る。わたしはこれは決して多数派の保守系(民主も含めた)議員だけの責任とは思わない。革新系や市民派といわれる議員も議会の実態をしっかりと市民に伝えていないことに問題があったのではないだろうか。もちろん特権をなくすために奮闘している議員の方もいることも確かだが、選挙で通れば議席は確保され、4年間は議員として身分は保証されていることにある意味安住している側面もあるのだろう。特権を廃止し、議会を改革するために何が必要なのか、私たちには問われている。国政の場で事業仕分けが昨年注目された。最近よく「見える化」などという言葉も流行っている。ここで事業仕分けについてはあえてその内容に言及しないが、少なくとも市民・国民に予算が決定されるプロセスをさらすことは大事なことだ。議員の特権問題も市民が知らないから、非常識がまかり通るのだと思う。市民と結び、議会・議員の「見える化」をいま本気で取り組むべきだと私は昨年からずーっと考えていた。

  誰もが議会に関われるように

 前置きが長くなり過ぎたが、議会改革の中味は、まず、議会の開催を平日の昼から平日の夜間や土曜・日曜の昼間に開催し、昼間働いている圧倒的多数の有権者も議会に関われるようにすることだ。単に傍聴するだけではなく、市民の発言を保障することも加えた。例えば、定例議会で本会議が開催される前に、例えば1時間を設け、市民が1人5分アピールするだけでも12名が発言できるのだ。
 とりわけ重要な議会は、別に狭い議場でやる必要はない。市民会館や体育館で市民参加の下に開催してもいい。市民が主人公の議会を実践することだ。

  高額給与や特権は必要ない

 高額給与(約1千万)や特権は議員に必要ない、待機児童や入所待ちの高齢者にお金を回せ。こんな感じの宣伝を朝・夕方夜の駅頭宣伝で繰り返し行なった。とりわけ、告示前の1カ月は本当に主要駅頭でこれを実践した。
 最後に開票翌日、市民へのお礼のチラシを配った際にそのチラシを見て、面識のない市民の方がメールをくれた。その一文を紹介しよう。
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 あるが精一様 市議会議員選挙ご苦労様でした。私は以下の5点で貴殿に投票しました。@市議会を週末や夜に開催すると言う点。Aそうすると普通の勤め人が議員になれ、報酬が今のように高くならなくて良い事。B宣伝カーが手作りだった。C夜遅く駅頭でがんばっていた所(資金や組織の無い人はこのような選挙運動しかない。D広報に載せていたことがシンプルだった事。残念ながら落選でしたが、是非これからもがんばって下さい。私にはとても真似できませんが、次回、何かに出るときは少しでもお手伝いできればと思います。
   【討議資料】無防備平和運動の第二段階(下) 10年44号6〜7面                       森 啓(札幌市無防備平和条例直接請求代表者、北海学園大学法科大学院講師)  
  
 前号に引き続き、札幌市民の会が作成した討議資料「無防備平和運動を前進させるために」に掲載された森啓さんの提案の後半部分を転載します。

 3 重要なのは吾々の側の「考え方」「思想論理」である

@ 現実的な判断として「全有権者投票はやらない」であろう。
 首長や議員や行政職員は「有権者投票」はやりたくないのである。他の自治体で否決したやり方で否決をしたいのである。そして共産党議員も「無防備平和条例そのものに反対」であるから「全有権者投票はやらなくてよい」と言うであろう。全有権者投票で「無防備平和条例の制定に賛成」が多数になると困るからである。だが、「全有権者投票に反対する」のは致命的なことになるであろう。つまりは、民主党議員も共産党議員も「市民の自治力」が高まることを「本当は望んでいない」のである。何かと理屈を考えて「議会で決めればよい」(否決すればよい)と主張するであろう。そして、自治法解釈を求められた総務省官僚も御用学者も「そんな直接請求はない」と言うであろう。したがって、現状では「全有権者投票」は実現しないであろう。

Aここで重要なことは、吾々の側が「有権者投票が実現しないのなら」「そんな面倒なことはやっても仕方がないのではないか」と「考えてはならない」ことである。
 状況を切り拓くのは「思想論理」である。吾々の側が「直接請求でそんなことをやるのは無理があるのでは」と考えてはならない。めざすのは「市民の自治力を高める」ことである。「市民の自治力」を高めるには「正統性の確信」が不可欠である。それには吾々の「思想論理」「論理構成力」を高めなくてはならない。それが「無防備平和地域宣言を現実のものにする」道筋である。「民主主義的社会主義の考え方」とはそのようなものであろう。状況を切り拓くのは「考え方」と「論理」である。 

B「議員を説得して議会議決にもちこむ努力をしよう」「それが議会制民主主義というものだ」と考えてはならない。ハッキリ言って、現在の地方議会に (残念なことであるが) 期待するのは無意味である。普通の人であった市民が、議員に当選し議会に入ったその日から、次第に「議員」に化身する。「議員特有の感覚・価値観・論理」の持ち主になるのである。議会否決が次々と続く事態は何としても乗り越えなくてはならぬ。
その道筋は全有権者投票である。全有権者投票の道筋を切り拓かなくてはならぬ。

C 「リコール」の言葉よりも「信託解除権」の言葉が良い。「住民投票」よりも「全有権者投票」の言葉で考えるのが良い。
 「住民投票」「リコール」の言葉には「既成の法律解釈理論」が染込んでいるから「現状容認の地方自治法の解釈論」になってしまう。「市民自治の制度論理」を構築するには「全有権者投票」「信託解除権」の言葉で思考しなくてはならない。思考の道具は「概念・用語・言葉」である。未来を構想するには「イメージを喚起する概念」で思考しなくてはならない。そして吾々の内にもある「状況追随思考」を自覚的に越えなくてはならない。

D 信託解除権の言葉を使っても、今直ちに「リコールをやろう」ではない。それは現実的でない。だが、首長と議会の代表権限は「白紙委任」ではない。市民が「信託した権限」である。首長と議会には「無防備平和条例の署名請求を一存で否認否決する権限」はないのだ。「市民の意見を聞いてからにせよ」を一方的に否認する行為は「信託した代表権限の逸脱行為である」ことを鮮明に明晰に共有するには「信託解除権」の言葉の共有が重要である。その共有が「全有権者投票への道筋」を切り拓くことになる。「市民の自治力」を高めるには「正統性の確信」の共有が不可欠であるからだ。そして、条件が整えば「解職請求=リコール」を断行するのである。

 4 何が変わり何が生じるか|全有権者投票への道筋

 さて、実際には「全有権者投票は行われないで無防備平和条例は否決される」であろう。今までと同じである。だがこれまでと異なる「重要な違い」が生じる。
 今までは「否決された」「残念だ」であった。
 今度は、「有権者投票をして決めなさい」と要求したにもかかわらず「手続き要求をも無視した」になる。
 これまでは「否決する権限は彼らにある」と (漠然と) 容認しての直接請求であった。
 今度は「首長と議会には無防備平和条例を一存で否定する権限はないのだ」「全有権者の考えを聴いてからにせよ」を前提に「手続きを要求した」のである。
 それに対して「その必要はない」と「手続き要求を無視」したのである。
「民主主義は手続きが重要だ」と御用学者も尤もらしく言う。であるから「手続無視だ」と「批判攻撃する論拠」を吾々の側がもつことになる。
 「それを持った」と言っても「法的効果」はない。「法的効果」はないが、吾々の側が「民主主義の正当性の論拠」を持つことになる。首長と議員は「民主的手続きを無視した」という「負い目を背負う」ことになる。ここが異なる。
 日本列島に「無防備平和宣言地域」を張り巡らすには、この階段を登らなくてはならない。この階段を登ることが市民自治力を高める道程であるのだ。
 この階段を登るには「市民自治の信託理論」「市民と政府の理論」の認識共有が必要である。状況を突破するのは「政治的言論力」である。
 これまでは、首長と議会は「条例は必要ないと吾々が判断したのだ」と言っていられた。今度は「何故に全有権者の声を聞くのを避けたのか」「重要なことを何故自分だけで決めてよいと言えるのか」「返答してもらいたい」「代表権を信託した主権者を無視した」「代表権限の逸脱である」との批判にさらされることになる。それが「信託解除権」「全有権者投票」を現実化させる方途になる。 
 そして、どこかの自治体で、首長が「全有権者投票をやることは大切だ」と言明して「全有権者投票」が行われることになれば、事態が大きく動く。
 首長は「無防備平和条例に賛成」と言明するよりも「全有権者投票にかけることは重要なことだ」と言明することの方が容易である。そしてその次は、「全有権者投票の結果なのだから」と言って「無防備平和条例の制定」へと一歩前に出ることが容易となる。
 全有権者投票が何処かで実現できれば、それが他の自治体に波及連動して日本列島が民主主義の自治政府の方向に動いていくであろう。

 無防備平和条例の議会決議の道筋を模索するのは議員行動の「認識欠如」であると思う。議会決議ではなくリコールでもない「全有権者投票の道筋」を構想するべきである。中央政府の政権交代を齎したのも全有権者投票である。議員の戒心ではない。
 
 【3・13無防備運動関西交流会】署名後の各地の運動を交流
 10年44号8面
  
 3月13日(土)に無防備運動関西交流会が8地域からの参加で開催された。昨年に続き2回目で、今回は署名後の各地の運動の交流を行った。
 全国ネットからの基調提起と向日市、尼崎市報告の後、実態を交流。担い手不足や署名の時と違って大きな目標、緊張感がないなどの実感がだされた。そのなかで、特徴として全国的にも地域を変える目標へ自治体選挙勝利等を掲げている地域がしっかりと活動していること。対市ワンデイアクションを8次にわたって行ない、機関紙の配布数も昨年から千部増やしている枚方市が典型であるように、平和課題以外でも市民自治を高める運動を手掛けている地域が活気があることが明確になった。
 尼崎市では、新しい層で裾野を広げ対市ワンデイアクション実現へ障害者団体連絡会の取り組みに参加していることが報告された。向日市でも、昨年に立ち上げた「市民参加のまちづくりの会」はJR駅橋上化計画で市の政策変更を実現するなど、やることがたくさんあり参加者が増えていると報告された。
 無防備運動は、地域で平和的生存権・人権を確立する運動で、その意味で住民全体に関わる重要な問題だが、地域の中では「平和」の問題だけでは数ある中の一つの課題になる。無防備運動が基底的な運動であるがゆえにさまざまな課題と結ぶ必要がある。そのため、各地で対市ワンディアクション等を組織していくことが必要であることが指摘された。また、国民保護計画のマニュアル作りは「頓挫」している状況だが、実動訓練をさせないための要請は欠かさず行うこと、署名後の運動の発展継続のため今後も交流を行うことを確認した。