東日本大震災〜原発事故
    軍事力でなく市民の生命と人権まもる自治体づくりを今こそ!
                               無防備地域宣言運動全国ネットワーク事務局 11年55号2〜3面              
 
 1 史上初の原発震災


  3月11日、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0、最大震度7の国内観測史上最大の巨大地震が発生した。戦後最大の「自然災害」である。
私たちは、この大震災で被害に遭われた全ての方がたに心からお見舞いを申し上げるとともに、亡くなられた方がたに哀悼の意を表明する。
  今回の震災は過去の震災とは決定的に異なる点がある。それは今回の震災が史上初の“原発震災”となったことだ。巨大な津波が福島第一原発に押し寄せ1〜3号機の原子炉内の燃料棒は冷却不能となり、炉心は溶融(メルトダウン)、水素爆発が起こり建屋(1、3号機)、格納容器の一部(2号機)が破壊された。運転停止中であった4〜6号機でも使用済み核燃料プールで水温上昇が起り、4号機では爆発により建屋の一部が吹き飛んだ。この事故により原発から放射性物質(ヨウ素131、セシウム134、プルトニウム等)が撒き散らされ、原発周辺地域は広範囲にわたって放射能に汚染された。史上初の“原発震災”は、東北関東地方の各地域自治体、住民に非常な苦難を強いている。

 2 国や電力会社の言いなりでは地域・住民の生命は守れない

  この福島第一原発の事故に対し、日本政府は当初、「想定外」の事態が起こったと言い訳をしつつ、他方で、事故は「レベル4」どまりで、スリーマイル島事故(米)やチェルノブイリ事故(ロシア)のようなレベルには至らない、「冷静な対応を」と被災住民・国民に呼びかけた。しかし、格納容器の一部損壊にまで事態が悪化するに及んで、原子炉冷却のため海水注入、放水に踏み切った。さらに放射性物質の飛散が否定できなくなると、「原子力災害対策特別措置法」15条に基づき「原子力緊急事態宣言」を行い、福島第一原発から半径20km圏内の住民に対しては避難指示を、20q以上30km圏内の住民には屋内退避を指示した。そして、原発事故のレベルは6とランクされ、周辺地域の土地、海、野菜、牛乳、水道水などから放射性物質が検出された。原発から200q以上離れた東京の水道水からもヨウ素131が検出され、政府は乳児には飲ませないよう指示するという事態にまで立ち至っている。また、原発周辺4県で生産された野菜は出荷、摂取が制限された。
  このように政府の対応は場当たり的で、事態の後追いでしかない。何故このようなことになったのか?それは、政府がスリーマイル島原発事故(1979年)を契機に「原子力発電所等周辺の防災対策について」(1980年,以下、「防災指針」)を定め、東海村における臨界事故(1999年)の後に「原子力災害対策特別措置法」(1999年,以下、「原災法」)を制定して、原子力災害に備えてきたと言いながら、それはあくまで原発建設推進を前提としたものでしかなかったからである。
 「防災指針」、「原災法」の具体的記述、規定を見てみよう。「防災指針」では、「防災対策を重点的に充実すべき地域」(Emergency Planning Zone ,EPZ)を定めているが、そのEPZは原発の場合は「(半径)約8〜10km」でしかない。つまり原発から20km、30km離れた地域にまでは原子力災害は及ばないという前提で「原子力防災」(?)を考えていたのである。こんな「防災指針」では今回のような原発震災に対応できるはずがない。原発推進ありきで、スリーマイル島もチェルノブイリも知ったことではなかったのである。
「原災法」では、「応急措置」は「原子力事業者防災業務計画の定めるところによ」るとしか規定されておらず(←電力会社まかせ)、「応急対策」についても、情報伝達、避難勧告・指示、情報収集、被災者救難・救助から食糧・医薬品等の物資の確保などを羅列的に規定しているに過ぎない。そして、実際の「防災計画」策定は自治体に委ねられるが、その自治体は政府と電力会社から「原発は安全」「事故は起らない」と散々吹き込まれている。そんな自治体が、過酷事故が起ることを想定した計画など策定するはずがなかった。現に、福島第一原発を抱える福島県・富岡町の「防災計画」では、「原子力発電所(福島第一原子力発電所、福島第二原子力発電所)については、国がその耐震安全性を確認しており、地震によって原子力災害が発生することはないと考えられる」とし、自らの町、住民の身に今回のような原発震災が降りかかってくるということなど全く想定していなかった。
 こうして大地震・津波の上に、原発事故(レベル6)による放射線被曝、地域汚染という災害に見舞われた自治体と住民は、被災者避難・救助に当たる「司令部機能」さえ喪失した中で、事態に対処せざるを得なくなった。国や電力会社の言うことを鵜呑みにしていては、地域も守れなければ、住民の生命・財産も守れないという事実に否応なく向き合うことになったのである。原発震災はまさに“権力災害”であり、利益追求のみに走る電力・原発資本によって引き起こされた“資本災害”に他ならない。

 3 原発廃絶、自治の強化で住民の生命を守る地域をつくろう

  原発事故は今も続いている。核燃料を冷やし、原発周辺地域の放射能汚染を低減させていくには何年、何十年もかかると予想されている。被災住民の方々が直ぐに住み慣れたもとの場所に戻れる保障はない。被災者は生命、財産だけでなく土地、ふるさととその文化までも奪われようとしている。このような原発震災は二度と起こさせてはならない。そのためには原発を廃絶するほかない。
  権力や強大な資本の言うことを鵜呑みにせず、あくまで住民、自治体が自ら考え、自らを守る政策を立案し、町づくりを進めていくことが必要だ。米国では、電力会社が自治体の協力を得て住民の避難計画を策定することが義務づけられているという。ニューヨーク州のショアハム原発、ニューハンプシャー州のシーブルック原発は、電力会社の避難計画がずさんで、州政府が計画づくりに協力しなかったため、原発は完成したものの結局廃炉となった。「州の担当者は、『本当に事故が起こるかどうかという問題ではない。市民の安全は、最悪の事態を予測して準備すべき』と、地方自治の優先を重んじた」((山ア隆敏著『生き残れない「原子力防災計画」』)。のである。
  このように自治を強化していかなければ、そこに生活する住民の生命を守っていくことはできないのである。私たちは、「国民保護計画」は住民の生命・財産を守らないことを明らかにし、軍民分離の町づくり、無防備平和条例実現の運動を進めてきた。そして、東日本大震災の中で、政府の進めてきた「原子力防災計画」なるものがいかに無力で、住民を守らないものかを思い知らされた。今こそ、核と人類は共存できないという立場を押し出し、徹底した非核の町づくりに踏み出すときである。“非核三原則を守れ”だけではなく、いったん事故を起こせば広範囲に放射性物質を拡散させ、被害をもたらす原発は廃止させていかなければならない。真実を明らかにし、自治を強化、住民の生命を守る町づくりを本格化させていこう。

 
   【沖縄から】  東北関東大震災に見る米軍の差別
     
         無防備地域宣言・沖縄ネットワーク 事務局長 西岡 信之 11年55号4面
 東北関東大震災で被災された皆様にお見舞い申し上げます。
 ケビン・メア米国務省日本部長の差別発言を中心に書こうと思いましたが、どうしてもこの大震災に触れたいと思いました。

 逃げる所もない小さな島沖縄

 まず原発事故ですが、政府による福島第一原発から半径20キロが避難、30キロが屋内退避の命令や300キロ以内は被曝の危険性があるという指摘を沖縄から見ると、人口の9割が集中する沖縄島でこうした事故が発生したら逃げるところがないということです。すべてが範囲に入るほど沖縄は小さな島なのです。那覇市から名護市まで直線で60キロですし、南の糸満から北の辺戸岬まで100キロしかありません。国民保護計画で、前石垣市長だった大浜さんは、「この小さな島にどこに逃げろと言うのか」という発言を思い出します。宮古・八重山は、ここ数年の首長選挙で、すべて革新候補が敗退し、今や竹富町も石垣市も国民保護協議会ができています。
沖縄には、原発はなく火力発電所です。しかし、読谷村と嘉手納町にある嘉手納弾薬庫には、核兵器が貯蔵されていると言われています。(1972年の本土復帰で撤去したと言われるが) 1968年、嘉手納基地に隣接するこの嘉手納弾薬庫に、戦略爆撃機B52が墜落し、爆発炎上したことから核爆発が起こると住民はパニックになりました。たまたま核兵器が爆発しなかっただけで本当なら沖縄島および周囲の島は今頃すべて無くなっていました。
 また津波についてですが、八重山の黒島、竹富島などは高い山もなく今回のような高さ10メートルの津波に襲われると全滅してしまいます。1771年の明和の大津波で、宮古・八重山は大変な被害にあっています。ここで言われるのが埋め立ての問題です。沖縄の海域にあるリーフ(サンゴ環礁)は、こうした津波や高波のエネルギーを自然の力で消失させていくと言われています。だから埋め立てしてはいけない。辺野古新基地建設で海を埋め立てるなんてとんでもないことです。

 差別発言のケビン・メアが国務省の東北大震災担当に

 ケビン・メア日本部長の問題に戻ります。もう彼の差別発言はご存じかと思います。3月7日に米国の大学生によって差別発言した講演内容が暴露され、10日には米政府によって更迭されました。ルース駐日大使やグリーン総領事が沖縄県知事に会いに来て謝罪し、彼の発言は米政府の考えではないと深く陳謝しました。ところがです。翌日11日に東北大震災が発生すると、なんとケビン・メアは解任などされずにそれどころか、大震災担当に命じられ日本支援の調整役として国務省でバリバリ仕事をさせてもらっています。そして、米軍支援の作戦名が、「Tomodachi」(友達)と言うのです。ふざけています。北アフリカや中東のような米軍基地撤去の民衆蜂起が沖縄でも起こらないかと米政府が恐れたために更迭までの対応が早かったと言われていますが、復権もたった一日でした。
 米軍の震災支援では、福島原発の被曝を嫌って、第七艦隊の空母レーガンは沖合130キロの海域で避難しています。救助どころか米軍は90キロ圏外にすべて退避しました。
 大震災と原発問題とともに、米軍や日本政府の対応を見ると二重、三重に腹立たしいかぎりです。
  【尼崎から】   請願でリベンジー普天間自治体決議
                     尼崎市に平和無防備条例をめざす会    高島ふさ子 11年55号5面
  前回審議しなかった議会に絶対審議をさせる! 
 12月の陳情に対して「議長あずかり」で審議しないというふざけた対応をした尼崎市議会に対して、2月14日「普天間基地県内移設の撤回を求める沖縄県民の願いを支持し、政府に意見書提出を求める請願」を提出しました。今回はぜひとも審議に回したいと思い、事前に議員さんに要請して回り、万全を期しました。
 その結果、共産党、社民党、緑のかけはし(市民会派)の3人に紹介議員になっていただくことができました。私たちは1月30日にめざす会の総会を開き、請願で再度頑張ろうと話し合いました。署名は前回提出できなかったものと阪神医療生協で引き続き取り組んでいただいた分、街頭署名で集まった分合計221筆を提出しました。

   議会運営委員会も傍聴

 18日に開催された議会運営委員会も傍聴しました。提出者の傍聴を意識してか社民党の議員から「陳情が議長預かりとなって今回請願が出されている。少なくとも2会派が賛成の議案は陳情でも請願と同じように扱う慣例ではなかったか、今後も多数決をとるようなことをするのか?」と意見表明がありました。尼崎市側は「陳情の扱いは市によってさまざま、陳情の取扱い規定に従ったまで。決を取ったのは議会運営委員会の決定です」と尼崎市の今までの慣例は異例だといわんばかり。自民党の委員長が「まあ何でもかんでももってこられたらこまるやないか」で収めてしまいましたが、終了後、市の担当者に「そんな慣例があったんか」と詰め寄る始末です。この結果わたし達の請願は総務消防委員会に付託され、議会運営に一石投じたと思います。しかし紹介議員になるかどうか動揺した市民派会派は「何でも持ってこられる」からと消極的。それに対しては「沖縄の問題は私たちに関係ない」という他人事、無関心こそが「沖縄に我慢してもらえばよい」との基地の現状維持、強化に繋がっていく、とはっきり反論し、会派の議員さんから「沖縄の人たちの心情を考えて意見書を出すべき」との賛同をもらいました。28日に開かれる総務消防委員会の前には「委員の議員に要請のFAXを」とのチラシをつくり配布に取り組みました。

  委員会で陳述「地方自治の観点からも許してはいけない」

委員会では陳述をし「地方自治の観点からもこれを許してはいけない」と訴えました。内容は共産党と緑の架け橋の議員が採決に持っていくよう頑張って賛成意見を出されましたが、腰の引けた社民党の委員をはじめ自民、公明議員が反対ではないが採決することに賛成しないという姿勢をとり継続審議になりました。統一地方選挙を目の前にして「反対」と言いたくないという意図をありありと感じます。これからも4月の委員会にむけて、審議を棚上げさせないとの思いで、もうひと頑張り署名を集中し、実質審議を要求していきたいと思います。

  宝塚市でも6月議会めざして取組中

 また継続審議中の宝塚市議会でも6月議会をめざして、宝塚の沖縄県人会の方も署名を取り組んでくださっています。この間、沖縄戦体験、戦跡の話を聞く会、「マブイ上映」と取り組みを続けています。メア元在沖米国総領事の沖縄に対する差別発言が明らかになり沖縄の怒りがますます強くなっています。この思いに応えて自治体意見書採択に向けて前進したいと思います。
  【国連人権理事会】 平和への権利 世界キャンペーンその@                                            東京造形大学教授・無防備全国ネット共同代表 前田朗   11年55号6〜7面  
  
 近年、国連人権理事会で平和を個人の権利かつ人民の権利として再定義し平和の権利国連宣言を求める動きが始まっている。平和への権利は、国家に戦争させない、戦争協力を拒否する権利となる。この動きを、前田朗東京造形大学教授から3回にわたって紹介していただく。

 人権理事会で発言

 NGOの国際人権活動日本委員会(筆者)は、三月一一日、ジュネーヴ(スイス)の国連欧州本部で開催された国連人権理事会で、平和への権利国連宣言を求める運動の一環として次のように発言した。

 <国際人権活動日本委員会は、本年一月の人権理事会諮問委員会で議論が行われたことを歓迎する。二〇一〇年六月二三日の「人民の平和への権利の促進」に関する人権理事会決議一四/三を歓迎する。
 この観点で、日本の裁判所の関連する判決を紹介したい。周知のように、日本国憲法第九条は、戦争の放棄と軍隊不保持を定めている。さらに、日本国憲法前文は「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と定めている。
 二〇〇八年四月一七日、名古屋高等裁判所は、平和的生存権は具体的な権利であると認定した。名古屋高裁は、軍事紛争中のイラクで連合軍による武力の行使に伴い日本国自衛隊が空輸活動に参加したことは、憲法第九条に違反する自衛隊の武力の行使に当たると述べた。裁判所が憲法第九条違反を認定したのは、一九七三年九月七日の長沼事件札幌地方裁判所判決以来初めてのことである。また、最終的な確定判決となったのは初めてである。名古屋高裁による平和的生存権の承認も長沼判決以来初めてである。およそ一年後の二〇〇九年二月二四日、岡山地方裁判所も名古屋高裁に続いて、同様の自衛隊イラク派遣訴訟において平和的生存権を認定した。>

 国連機関だがNGOも参加・発言できる

 若干補足しておくと、第一に、人権理事会は国連機関であり、四七カ国が理事に選出されている(東アジアからは日本、韓国、中国)が、国連経済社会理事会との協議資格を認定されたNGOも参加し、発言することができる。国際人権活動日本委員会は長年の活動の後、二〇〇五年に国連NGO資格を認められたので、筆者は国際人権活動日本委員会の一員として人権理事会に参加し、発言した。
 第二に、発言時間はわずか二分間である。以前の国連人権委員会時代にはNGOには五分間の時間が与えられていた。それでも短くて、発言原稿を準備する際には、情報を圧縮し、削除しなければならなかった。今は二分間なので、最低限度のことしか発言できない。欧米のNGOメンバーは猛烈なスピードでしゃべっているが、英語で発言しなければならないので、筆者は無理をせず、最短の原稿を普通の速度で読んでいる。
 第三に、発言だけではとうてい伝えられないので、発言が終わったときに、発言原稿と同時に名古屋高裁判決の要旨の英訳を配布した。
 なお、右の発言中に人権理事会決議が二〇一〇年六月二三日とあるが、決議採択は正確には六月一七日である。二三日はその決議文が正式に文書として受理された日付である。
三月一四日、同じ人権理事会で、NGOのスペイン国際人権法協会(ダヴィド・フェルナンデス・プヤナ)が、平和への権利国連宣言を求める発言をした。二〇一〇年一二月にサンティアゴ・デ・コンポステラで平和会議が開催され、サンティアゴ宣言が採択されたこと、本年一月の諮問委員会にサンティアゴ宣言を紹介して議論の素材としてもらったこと、今後に向けて平和への権利宣言案起草を開始するべきこと、である。

 権利としての平和

 平和への権利国連宣言は、一九八四年に一度採択されている。ところが、二一世紀になって、人類は新たな戦争の時代を迎えてしまった。そこで人権委員会で平和への人権をめぐる議論が始まった。人権委員会を改組した人権理事会でもこの議論が継続された。
 その状況に応じて世界キャンペーンを始めたのがスペイン国際人権法協会である。同協会は、国連人権高等弁務官事務所で活躍したカルロス・ビヤン・デュラン教授が、スペインに戻って設立した新しい協会だが、平和への権利世界キャンペーンに総力を集中している。スペイン語圏を中心に徐々に運動を広げ、国連機関(人権理事会、ユネスコ、各種の条約委員会など)でのキャンペーンを展開してきた。現在、九〇〇を超えるNGOの賛同を得ている。世界キャンペーンの担当者がダヴィド・フェルナンデス・プヤナである。

 平和への権利の決議に反対する日本政府

  人権理事会は、二〇〇八年から二〇一〇年まで三年続けて、人民の平和への権利が重要であり、その内容を豊かにし、確定するために議論を続けるという決議を採択してきた。賛成が三〇カ国ほど、反対が一三カ国ほどである。提案国はキューバであり、賛成には非同盟諸国やロシア、中国が入っている。反対は、アメリカ、EU諸国、日本である。アメリカの反対理由は、平和の問題は安保理事会で議論するべきであり、人権理事会で議論するべきではないということと、人権というものは個人の権利であるのに、人民の権利という団体の権利は認められないというものである。
 日本政府も同じような見解であろうと思われるが、世界で唯一、憲法前文に平和的生存権と書いてある国家が、平和への権利の決議に反対するのは疑問である。いったい誰が、どのようにして反対と決めたのだろうか。
平和への権利宣言をつくるということは、国際社会が権利としての平和を認めるということである。
 かつて、平和は「戦争と平和」という枠組みで、戦争のない状態とされていた。戦争は主権国家の権限とされた(ただし、不戦条約以後は、主権の制限が始まった)。
これに対して、平和学者のヨハン・ガルトゥングは、戦争がなくても平和とはいえない場合があるとして、紛争、飢餓、伝染病,基地被害などの「構造的暴力」のない状態を平和と再定義した。
 平和への権利は、さらに一歩を進めて、平和を個人の権利かつ人民の権利として再定義するものである。平和を権利として認めると、国家が戦争を行うこと自体が個人や人民の平和への権利を侵害することになる。平和への権利は、国家に戦争させない、戦争協力を拒否する、税金を戦争に使わせない権利となる。
     リビア空爆をただちにやめよ    事務局   11年55号8面   
 
 3月19日(日本時間20日未明)、まさにイラク戦争開戦8周年の日に米英仏などの多国籍軍は、「民間人保護」を口実にリビア西部20箇所に艦船25隻から124発のトマホークミサイルと戦闘機による空爆を行い、攻撃を開始した。この攻撃に対し、日本政府は20日直ちに松本外相が支持を表明した。
 このリビアへの攻撃は、欧米のリビアでの石油利権の確保を目指したもので、イラク侵略の再来であり、民間人犠牲者を生みだす国際法違反の戦争行為は直ちに停止されなければならない。日本政府も、直ちに支持を撤回し、戦争行為への加担をやめなければならない。

 「オデッセイの夜明け」作戦と称するこの軍事行動の根拠としている国連安保理決議1973は、国連安保理で辛うじて成立したもので、米英仏のリビア攻撃の名分のための採択強行であった。この攻撃に際して、「独裁者の自国民弾圧は座視できない」としてオバマ米大統領が述べた「人道的介入」は、石油利権確保へ軍事介入するために作り出した口実にすぎず国際法違反の武力行使に変わりはない。リビアと同じ民衆蜂起に弾圧を繰り返すイエメンやバーレーンには全く言及しないダブルスタンダード(二重基準)である。
 民衆蜂起に対する支援は断じて軍事介入ではない。リビアに平和をもたらすことも民主国家を建設することもできない。市民の犠牲を増やすだけだ。自国政府の軍事介入に反対し、戦争屋の手足を縛る国際社会の世論と民衆の連帯による民主化勢力への支援こそが必要なのだ。